石狩湾沿いを北上すると、左手に日本海、右手に荒涼とした丘陵地帯が見えた。 水色の潮風は、僕をクリスティーナの世界へと誘う。
この旅は、アンドリュー・ワイエスの幻影を探し求めた旅でもある。多くの人は、この荒涼とした廃墟を嫌う。何か寂れた、もの悲しさを誘うからであろうか?僕は、なぜ、ワイエスがこのような荒涼とした世界を描き続けたのか考えた。
昨年、アンドリュー・ワイエス展を見た時、どこか北海道の懐かしい原風景を思い出した。アメリカと日本の違いはあるけれど、いつかこの枯れた風景に共通点を見出そうと思った。
ワイエスは22才の時、メーン州の海辺の小さな村にある、古い大きな木造の一軒家を訪れた。そこには、二人きりで住んでいたオルソン家のクリスティーナとアルヴァロンという姉弟が、寄り添いながら与えられた生を淡々と生きていた。その姿に共感を抱いたワイエスは、以後深い友情のもと姉弟が亡くなるまで親しく交流したという。そして、夏が来るたびにこの家を繰り返し訪れ、30年間に渡り描き続けた。
クリスティーナの世界は、手足の不自由な女性が自力で丘を這い上がって、前へ進もうとしている生命力を感じさせる1枚の絵である。人里離れた、殺風景なところにワイエスは何を感じ、どんなインスピレーションにより絵を仕上げていったのだろう?
僕は、そんなことを考えながら、この廃墟と化した土地を眺めた。耳を澄ますと、牧場で淡々と働く人々の風切音が聞こえてくる。ワイエスは、廃墟を描こうとしたのではなく人々の面影を描こうとしたのだ。
この土地を訪れて、自然の厳しさと生命の力強さを感じた。
>fumiさま
おはようございます。 昨年、アンドリュー・ワイエス展を観て衝撃を受けました。 僕が生まれ育った北海道に そんな景色があったような気がしたからです。
都会に慣れてしまって、派手な生活に染まって、 世界ばかりに目を向けていたけれど、 身近なものを見ていなかったことに気がつきました。
病弱だったワイエスは、故郷のペンシルバニア州とメイン州の2つの 舞台を生涯描き続けたそうです。
もっと、表面的なことではなく、心の目でしっかりと見ていきたいです。 ほとんどの人は、見ているようで何も見ていないのですね。
投稿者:hide★ :2009年5月11日 11:32
hideさん おはようございます。
前回の記事の写真も、今回も、 北海道だと書かれていなければ、 北欧やアメリカのどこかと思うほど。
この廃屋の景色もどこか強く惹かれるのは、 そこにあったであろう光景が思い浮かんでくるから…
この写真達が北海道にある場所なんて、 なんだか不思議。 日本は狭いようで案外広大なのかもと思いました。
行ってみたい。
投稿者:fumi :2009年5月11日 10:18