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モホリナギ 写真

19世紀から20世紀をまたがって生きた、ユダヤ系ハンガリー人の作家、L・モホリ=ナギの絵画・写真・映画を読んだ。第一次世界大戦後、動乱のハンガリーからドイツに亡命し、ヴァルター・グロピウスと出会い、バウハウスの教授に招かれる。難しいことは抜きにして、モホリはグラフィックデザインの表現の基礎を作った人ではないだろうか?このブログの前回にも書いたけれど、「これは、写真じゃない」とか「これが写真だ」という方は、この原点を学んでほしい。日本語に訳された本には、写真という言葉が使われているが、本来はPhoto=光、Graph=図という概念にぴったりである。



この著書の中のひとつにカメラなしの写真、フォトグラムという手法がある。マン・レイは、同じ手法を使ってレイヨグラムと呼んでいた。カメラを使うことだけが写真ではない。ここでも、レンズがどうだとか、解像度がどうだのという話は一切出てことない。つまり、芸術においての写真とは、カメラという装置が主なのではなく、光を描くアートなのである。(ここに掲載した作品は、マン・レイのもの)



モホリナギの理論は、バウハウスを通じてマン・レイに引き継がれていく。ネットで検索すると、現代アートの写真作家でもフォトグラムを使用して、現代的に洗練されたアートを創作人もいる。でも、なぜそういう人達はもっと世に出てこないのか?もしかして、こんなのは写真じゃないという圧力をかけられているのだろうか?



先人達が切り開いてくれた手法を使って、現代の解釈でもっと面白いものができそうなのであるが、残念ながら日本の現状はカメラに依存した写真が多いような気がする。

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美しく、輝く、輪を求めて。

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