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執筆者の写真Hidetoshi Shinohara

信じること

桜が去っていく。また、来年もやってくることを信じている。

多くの人は、何事もなかったように日常に戻った。僕は、まだ桜が最後の力を振り絞って、美しさを見せてくれているような気がした。満開の時だけが桜ではない。去っていく後ろ姿も美しいのである。

先週、友人とジョン・レノンのLOVEについて語り合った。僕は、この曲を中2の時から聴いている。悲しくてやるせない気持ちになった時、心を落ち着つかせてくれて希望を持つことができた。いつか、こんな愛に触れることができるのだろうかと子供心に思った。辛い時、今でも深夜、暗闇の中でLOVEを聴く。友人は「小学生の時から聴いていた」と言っていたので負けているけど。

ジョンは、ヨーコとの間に本当の愛に触れた時、愛は真実。真実は愛。愛は感じること。感じることが愛。と歌った。僕は、この詩の中に一行を付け加えたい。愛は信じること。信じることが愛だと。 人をどこまで信じるかというと様々な意見があるけど、僕は人を信じる心は大切なことだと思う。信じていけない時は、言動と行動が一致していない時。基本的に信念を持ってぶれない人を信じる。騙されない程度に。 桜は、毎年何も言わずにきれいに咲いてくれる。人が見ていようが見ていまいが...何も見返りを期待していない。人々に対して、自然に対して、野山の小鳥達や小動物に対して、愛を感じる。 桜が散っていく姿を見て、再度自分に言い聞かせた。 愛は信じること。信じることが愛。

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27 Kas 2019

桜は、必ず来年も戻ってきて、またあの何処か切ないまでの美しさを見せてくれますよ! それはきっと、何十年、何百年経っても変わらなくて、全く変わらずには生きていけない私たち人間からしてみれば、少し羨ましい気もします。

信じることって、とっても難しいことだと思います。 疑うことの方が、何十倍も簡単だから。

「孤独が好きな人間なんていない。失望するのが嫌なだけだ。」 村上春樹さんの小説に出てくる一説です。

信じたモノに裏切られて傷付くことを拒絶する。 結局は己が可愛いだけなんでしょうか。。。

そして、思うのです。 これは、未熟からくるものなのか、それとも経験からくるものなのか…? リスクを承知の上で、それを受け入れ相手を信用出来るだけの余裕をまだ持ち合わせていない未熟さ。 過去の経験から発する自己防衛。

わけあって“信じないこと”を前提に成長してしまった私は、色々な人達との出会いと経験、時間を通して、今は未だ“信じること”へのトレーニング途中と言ったところでしょうか。

『愛は信じること。信じることが愛。』

改めて、素敵なフレーズですね!

投稿者:ryo :2009年4月16日 08:20

Beğen

>えるさま

最近、信じて良かったことがありました。 信じているからこそ、リスクを負いながらも本気でぶつかる。 そのことから逃げていては、真実は掴めないことを学びました。 LOVEという曲を一晩中、朝まで聴いて、 そのことに気付かされました。

北国の桜はまだまだ先ですね。

投稿者:hide★ :2009年4月15日 13:38

Beğen

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27 Kas 2019

私もジョン・レノンのLOVE聴いてみました。 英語なのにまっすぐに心にスッと入ってくる詞ですね。 「愛は信じること」 その通りだと思います。

「桜」東京はもうお別れだけど、hideさんが桜前線と一緒に北に移動したなら 当分会えますよ。

投稿者:える :2009年4月15日 12:24

Beğen

美しく、輝く、輪を求めて。

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