水色のそよ風に導かれ、有珠山へ向った。
8月の終わり、お盆を過ぎたら北国の夏はもう終わりだというのに、強い陽射しが肌を差す。途中、人、ひとりいない真っすぐな道路を走る。周りはのどかな田園風景だった。一足遅れてやってきた僕を、真夏の太陽が店仕舞いしないで待っていてくれたようだ。 その脇には、満面の笑みを浮かべたひまわりが咲いていた。緑と黄色のなんと鮮やかなコントラスト。僕は、こんな色彩を使ったことがない。まして、ひまわりなどという花のことなんか何十年も考えたことがなかった。ちょうど一年前、新宿にある「損保ジャパン東郷青児美術館」でゴッホのひまわりを見た。画集で見るのとは違い、原画の筆のタッチ、マチエールに圧倒された。人生に、生活に苦しんだゴッホは、日本の浮世絵に影響を受けて色彩が明るくなったという。
この太陽のような笑みを浮かべた花は、僕に希望を与えてくれた。思わず車を停め、シャッターを切った。日本語名の「ひまわり」という由来は、東から太陽が登ったころ、東へ花を向け、西へ太陽が沈むころ、西へと花を向ける習性からである。 よく見ると、太陽は画面の右側から差しているはずなのに、あっち向いたりこっち向いたりしているひまわりもいる。太陽の方へ向くひまわりは若い時だけらしい。その中のひとつが僕と目があった。ちょうど画面の真ん中にいる。ちょっと背伸びして、みんなに埋もれないように笑顔で僕を見つめている。太陽の陽射しを一杯に受け、その光を僕に照らしてくれているように見えた。
ゴッホは、季節外れになっても何度もこのひまわりを描いたという。きっと、毎日同じ顔を見ていると、季節に関係なくその笑顔に勇気づけられたのだろう。しばらく見ていると、「勇気を出して、頑張って!私、応援しているから」と僕に微笑みかけた。
>Asukaさま
お久しぶりです! そうなんです。 母と祖母は車椅子で父も昨年倒れて、 看病疲れみたいな感じです。 それでも、優雅に庭いじりをして楽しんでいるようです。 そういうわけで頻繁に帰省するようになって、 松の剪定までやらされました。 お陰で他人の家の庭が気になり始めました。
東京でこんなひまわり畑なんか見たことなかったです。 ゴッホの「ひまわり」は、季節が終わっても何枚も 描いたらしいです。
投稿者:hide★ :2009年9月18日 21:39
お久しぶりです!
ご両親の具合悪いんですか?? hide★さんも心配ですね・・・。 早くお二人とも元気になると良いですね!! 何歳になっても、自分の両親には、元気でいて欲しいものですよね。
ひまわり畑、すごいですね!!! 私の住んでいる街にも観光バスが出るくらいのひまわり畑があるんですよ★ 北海道ほどの雄大さはないですけどね~。
ゴッホの「ひまわり」は、画集で観るのとは 全然違いますよね!私も生でみた時は圧倒 されちゃいました。
ゴッホのひまわりは、何枚かあると聞いたのですが、本当なのでしょうか??
また観にいきたいなぁ。
投稿者:Asuka :2009年9月17日 23:53
>akiさま
コスモスいいね〜! 東京で仕事しているとこんなに自然に触れることなんかないよ。 週末に車で遠出すればいいのだけど、 それもなかなかできない。
親父とお袋と祖母が交互に倒れて、 帰省する機会が多くなってしまったよ。 その隙に北海道を見てみようと思った。 今まで、全然帰らなかったからね。
もっと、時間があれば会いたいね。 でも、今は写真を撮りためている。 故郷っていいね。
投稿者:hide★ :2009年9月16日 20:13
ひまわりの次は、コスモスなのかな。 それが終わると 寒くなる。 でも北海道の晩秋は、いいよ。 まっ茶色の山が4時頃 夕日に照らされて真っ赤に見えるさ。
随分来てるな~
投稿者:aki :2009年9月16日 20:01
>soraboshiさま
秋は、あの賑やかで活動的な夏にくらべて、寂しいです。 この緑と黄の反対色がさらにひまわりの色を引き立てます。
そうだ、北海道に住んでいたころは、 庭にいつもひまわりが咲いていた。 大人になって、ひまわりという花を意識したことなかったけど、 陽水の少年時代のようになぜか子供のころを思い出すね。
投稿者:hide★ :2009年9月11日 10:30