これは、夏のフィンランドで撮影した写真。僕は、この一枚の写真を手に取る度に、映画「ベルリン・天使の詩」の全編に流れる、囁くような詩を思い出す。

子供は子供だったころ、腕をブラブラさせ 小川は川になれ、川は河になれ、水たまりは海になれと思った。
子供は子供だったころ、自分が子供とは知らず、 すべてに魂があり、魂はひとつと思った。
子供は子供だったころ、一度よその家で目覚めた。 昔はたくさんの人が美しく見えた。今はそう見えたら僥倖。
昔ははっきりと天国が見えた。 今はぼんやりと予感するだけ。
昔は虚無など考えなかった。 今は虚無に怯える。
子供は子供だったころ、遊びに熱中した。 今は、その熱中は、自分の仕事に追われるときだけ。
子供は子供だったころ、ブルーベリーがいっぱい降ってきた。 山に登る度にもっと高い山にあこがれ、 町に行く度にもっと大きな町にあこがれた。
やたらと人見知りをした。今も人見知り。
子供は子供だったころ、木をめがけて槍投げをした。 ささった槍は今も揺れている。
「ベルリン・天使の詩」より
>fumixさま
こんばんは! 子供と大人は、どちらがいいのでしょうね。 子供は残酷なところもあったりしますが、 大人は節度というものをわきまえているところがいいですね。
僕は、この世の中で知らないことばかりで、もっともっと いろいろなことを知りたいと思います。 その度に発見があり、感動があります。 できれば、この世の全てのことを知りたい。 宇宙の原理も知りたい。 なぜ?ということがいっぱい。
水溜まりに映った、青い空を見つけた時は、 宝物を見つけたように感動です。
大人になったら、美しい人ばかりじゃないけれど、 美しい人もいて、出会ったときは、とても感動です。 この映画、久々に観ましたけど、20代のときに観たときと 確実に解釈が違って、またまた、感動です。
投稿者:hide★ :2008年8月21日 00:46
こんばんは☆
子供の頃は「純粋に確信していたもの」が沢山あったように思います。
歳を重ね、初体験のものが少なくなり、はっとするような瞬間的な感動を味わうことが少なくなって、日々生きることに慣れてしまうのかもしれませんね。
でも、最近は大人もいいかな。
水溜まりに映った真っ青な空と白い雲を見つけた時。 たくさんの人を美しいと思えなくなったとしても、美しい人ひとりに出逢った時。 そういった感動はとても至福の贅沢かな…と。
ベルリン 天使の詩。 久しく観ていないです。 いま観たら、きっと昔と違う映画に見えるかもしれませんね。 子供の心も残しながら、大人の女性としてもう一度観てみたいです。
投稿者:fumix :2008年8月20日 23:41