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執筆者の写真Hidetoshi Shinohara

小樽オルゴール堂

3連休は、実家のある札幌へ行った。 久々に小樽へ行ってみた。 アイヌ語でオタルナイ(砂浜の中の川)と呼んでいたらしい。 そんなことも知らず、子供のころは、 小樽の銭函という海水浴場へよく行ったものだ。



まずは、小樽オルゴール堂へ。明治45年建造で北海道一の精米会社「共成」の社屋だったそうだ。これはルネッサンス様式を取り入れた建築になっている。

ルネッサンス建築とは、フィレンツェで1420年代に始まり、17世紀初頭まで続いた様式のことをいう。この様式は人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、ローマ建築を理論づけたものらしい。


そういえば、ローマへ行った時、窓や入口にはアーチが多く、建築を英語でarchitectureというが、もともとは、ラテン語でアーチとテクニックかテクスチャーを合成した言葉だと聞いた。(記憶が定かではないので、誰か教えてください)


だから、日本語の建築とは、語源になる言葉の意味が違うのかもしれない。建築は「建てる」と「築く」と書く。ここが日本と西欧文化の大きな違いのはずなのに、なぜ、言葉の意味を捨ててまで、近代化を急速に進めたのだろう?


小樽繁栄のルーツはニシン漁にあり、小樽の多くの古い建物は倉庫として使われていた。鎖国が解かれて、明治に北海道開拓が本格化すると玄関港として発展する。明治政府の国策として、世界中の舶来文化が怒濤のごとく押し寄せてきた時代でもあった。


そして、戦後、小樽は漁業と共に衰退し、都市が札幌へと移行していった。今、小樽は、かつての繁栄が異国情緒の町並みを醸し出して、見事に復活を遂げた。

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4 Comments


>uench様

小樽も観光化されてきましたよね。 人寄せのために人力車まで走っていて、 浅草ではないのだからどうかと思う。 ただ、古い建物の景観を壊そうとしないところがいいですね。 小樽には親戚がいて、夏休み、冬休みにはよく行ったものです。 もう、おじさん、おばさんも死んでしまって、 そこには住んでいないけれど、懐かしくなって訪ねてみました。 坂が多くて、冬は厳しいけど、故郷とは良いものです。 この歳になって、やっとその良さが分かってきました。

投稿者:hide★ :2006年12月30日 11:23

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Nov 21, 2019

建築を含め、街全体のイメージは、そこに住む人々の気持ちが反映されるものなんですよね。 人を呼ぼうと画策して、とってつけたデザインのエリアがどうもその土地から浮いてしまっているというような印象をうける事がありますが、小樽の街は観光客向けのエリアと、実際に生活している人達のエリアというのの隔たりがなく、しっくりいってる感じがします。 かつて最も栄え、活気に満ちたその時代を人々がいつまでも愛し、名残惜しんでいるような切なさを感じます。ショッピングエリアにもその切なさがそこかしこに見え隠れしてるところが好きです。北一ガラスや時代がかったオルゴールの繊細な音色も演出効果ばっちしですし。しばらく訪ねていないので変わっているかも知れませんが、久々に懐かしかったです。

投稿者:uench :2006年12月30日 11:22

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>N.Kojima様

たしかに日本民族は世界でも類を見ない民族ですね。 いろいろな国の影響を受けて、自分達のものに消化してしまう 能力はピカイチだと思います。 でも、これからは、日本人のアイデンティティーを しっかりと持って行かないと国際社会で主要国とはなれませんよね。 デザインも猿真似日本人は卒業して、 日本人であることの誇りを持って表現していきたいと思います。

投稿者:hide★ :2006年12月30日 11:20

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Nov 21, 2019

時間を経た建物は、建物自体の意思のような ものを感じますよね。 日本は明治維新以降、変化し続けて着ました。 でもそれ以前の朝鮮や中国の影響も受けて 日本自体のアイデンティティは、相当さかのぼらなければ 成らない事を考えると、日本民族は世界でも類を見ない民族な 気がしてきます。

投稿者:N.Kojima :2006年12月30日 11:19

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美しく、輝く、輪を求めて。

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