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素描No.004

何事もなく日常が過ぎ去っていく。



五木田さんの死から、2週間以上が経った。彼が、生と死の狭間を彷徨っていたとき、何かに突き動かされるように僕はこんな寂れた絵を描いていた。理由はわからない。休みの日になると自室に籠って机に向い、ステッドラーの鉛筆をカッターで削る。まるで、硯に墨を摩るように。絵を描き始める前の鉛筆を削るという短い時間が、心を落ち着かせ精神を集中させてくれる。 無意識のうちに生と死を意識していたのかもしれない。そういえば、五木田さんのお通夜から帰って来た日、深夜、寝ているとベッドの脇に誰かが立っている気配がした。僕は、霊感が強いわけでもないけれど、こんな体験は初めてだった。 お通夜から帰って来た時、僕は葬儀場からもらった「清め塩」を使わなかった。仏教では「清め塩」を排除しようという方向へ進んでいると聞く。死者を汚れたものとして塩で追い払うなんてことは僕にはできない。もしも、五木田さんがぼくの自宅まで付いて来たならそれでもいいと思った。 そんなことを思っていたので、本当に訪ねて来てくれたのかもしれない。『お見舞いに行く』と言っていて行かなかったのだから、『なんで、来なかったんだ?』と怨んで出て来ても何も言い返せない。『ごめん!』としか言えない。自分のことに浮かれていたのだから。でも、なぜかその感覚が恐くもなく、懐かしい感じがした。 今回の窓の絵は、潜在意識の中でそういうものが作用して表れてきたのだろうか?見る人によっては、暗くて嫌悪感を感じるかもしれない。今回、自分の誕生日で浮かれていたのに、家ではこんな絵を描いていたことがなんだか偶然ではないような気がした。喜びの裏には、悲しみがある。やはり、全ての偶然は必然なのだろうか?

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8件のコメント


Hidetoshi Shinohara
Hidetoshi Shinohara
2019年11月27日

>N.Kojimaさま

みなさん、辛い経験をされているのですね。 僕は、身近の友人では亡くなったという経験は皆無でした。

親しい友人は、ことあるごとに思い出が蘇ってくるものです。 だから、まだ元気にどこかで活躍しているような気がします。 きっと、携帯電話の電波が届かない、 天国ににでもいるのでしょうかね。

投稿者:hide★ :2009年7月27日 13:52

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私は、友人を2名亡くしています。 まだ若いのにとおもうとき、初めて 「天国とかそういうところに行ったんだ」 とおもえた方が人生イイモンナンダナーとおもった事が有ります。

これは、宗教とかそういう事で言っているのではなく 親しかった友人が、天国に居ると思いたいという意味です。

投稿者:N.kojima :2009年7月27日 11:16

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Hidetoshi Shinohara
Hidetoshi Shinohara
2019年11月27日

>fumiさま

こんにちは。 18歳で親友をなくし、52歳でお父さんが亡くなったとは、 どちらも早いですね。 親友の旦那さんもきっとこれからの人生だったのでしょう。

亡くなっても心の中で生き続けているものですね。 僕の場合、「写真は早朝か夕方だ」と言う度に 五木田氏の顔を思い出します。

鉛筆だけのモノトーン世界って、 静かな感じがしていいなと思いました。

投稿者:hide★ :2009年7月17日 17:22

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hideさん こんにちは。

私も18歳で親友をなくし、父が52歳で他界。 先日は親友の旦那様を見送りました。

その人を失うまでの、昨日までの日々。 当然今日も明日もやってきて、 人はいつも生と死の間に立っているのだと思ってきました。

心の中で思い続けているうちは、覚えているうちは、 お友達は、体はなくとも生き続けていると思います。

素敵なスケッチですね。 白いキャンバスに線一本から描いたものだと思うと、 気持ちいい驚きです☆

投稿者:fumi :2009年7月17日 14:54

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Hidetoshi Shinohara
Hidetoshi Shinohara
2019年11月27日

>ヨリさま

まったくそのとおりです。 そういう意味では、身内じゃないから寂しい感覚はあったけど すごく悲しいという感覚ではなかったかな。

訃報の知らせが来たときは、本当に驚いたけど、 「元気であることに感謝しなくては」と思いました。

投稿者:hide★ :2009年7月16日 22:31

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美しく、輝く、輪を求めて。

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