今日は、僕の誕生日。
年々、時間の速度が早くなっていく気がする。この歳になると、まだまだ自分がやりたかったことが達成できていないことの現実逃避から、カレンダーの誕生日という日を見て見ぬふりをして、素通りするようになっていた。自分の中では、誰にも気付かれずに無かったことにしたかったのである。でも、誰にも気付かれないのは、それはそれで寂しい。思春期の乙女とは、こんな気持ちなのだろうか?人生の折り返し地点はとっくに過ぎ去ってしまった。時には、「もう、どうでもいいや」と思うこともある。
そんな時に表参道のショップからお花のギフトをいただいた。こんな細やかなことだけど、嬉しいことであると同時に「どうでもいいや」という気持ちから、「そんなことではいけない」と覚醒させてくれるイベントでもあった。
「そんなことではいけない」と思っていると、最近、ネット上では「稼ぐ」という言葉で集客を促している自称コンサルタントが目につく。僕の若い頃は、稼ぐとか稼げるなどという言葉は、あまり聞いたことがなかった。がむしゃら働いて努力すれば、自然に収入が上がる時代だったからだ。
今は、そんな時代じゃないんだろうなと思いつつ、若い人達に同情的であったが、その若い人達にも今の時代にあったやり方をして成功している人達がいる。その人達は、仕事を稼ぐための手段だと考えていないようである。実際には、そう見えるだけかもしれないが、その人達は、いつもワクワクしていて自らが輝いていて楽しそうなのである。
最近、偶然にもバシャールというチャネラーのインタビュー形式の本を読んだ。副題は、「人生の目的はワクワクすることにある」と書いてある。ワクワクは、英語でexcitingである。
もし、あと1,000年も経ち、地球が今とは全く異なる世界になっていたとしたら、通貨などない、人種などない、宗教などない、経済などない、戦争などない、思想などない、etc…
人々はどのように生きていくのだろうか?稼ぐ必要などないのである。今の社会で、金儲けが最優先の人達は、こんな時代になったら生きていけないのかもしれない。みんなが幸福になる自動循環社会が形成されるとしたら、何をすればいいのだろう?みんな生きがいがなくて自殺してしまうかもしれない。
それでは、なんのために生きているのだろう?そう、それは自分がワクワクすることが、世の中を輝かせ、人々を明るく幸福に満ちたものにさせるに違いない。そんな社会になれば、嘘をつく必要もなくなる、人を騙すこともなくなる。利権にまみれた社会もなくなる。そういう時代になれば、ワクワク度数が今でいう通貨に値することになるかもしれない。
そう考えれば、この世に生かされている意味というのが見えてくるものだ。
63歳になった、僕の人生のキーワードは「エキサイティング」である。
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