父は言った、「野菊だ」と。 僕は、相変わらずそんなところは見ていなかった。 白老のアイヌ部落の近くにある、 ポロト湖という美しい湖に来ていた。
クリエイティブに関わっている僕は、若い頃、「ニューヨークだ」、「ロンドンだ」などと言っていた。子供の頃、家族でドライブに行っても心はそこにあらず、作りかけのプラモデルのことやビートルズのレコードジャケットのデザインは誰が手がけたかを心配していたものだ。
「いつかは、ビッグになってやる。親父みたいなサラリーマンになんかなるものか」と親の苦労も知らず、思ったものだ。しかし、そんな生意気な小僧は、いつしか大人になり、野菊の美しさに感動するどころか、側にいた父の「野菊だ」という感受性に驚愕した。
僕は、その言葉に反応して、デジカメを野菊に近づけて、できるだけクローズアップにして撮った。肉眼で見るとただの雑草にしか見えない、小さな、小さな野菊。
この風景の主役は、あくまでもポロト湖。確かに美しい。それを横目にこの野菊は、北国の秋を迎えても、いじらしいくらい逞しく風に揺られて咲いている。
そういえば、中学の時、読んだ「野菊の墓」は、たしかこんなだったと思う。主人公は、年上の恋人に『ここに野菊が』というが、彼女は足を止めず、すたすた先へ行ってしまう。
それは、幸が薄い恋人が先に死んでしまって、追憶をしているシーンであった。さらに思う。『彼女は野菊のような人であった。そして、田舎風ではあったが、けっして粗野ではなかった。可憐で優しく品格もあった。厭味もなく、どう見ても野菊のようだ。』と...
北海道生まれでも この美しさに気付いていませんでした。
投稿者:hide★ :2006年12月30日 10:42
なんちゅうきれいな... ボクは、なにわ育ちのなにわ暮らしなんで、こんな澄みきった空気にはホント憧れます。
投稿者:inoji :2006年12月30日 10:41
>gon様
同感です。僕は、上京して30年位経ちますが、 道民と言うと「道民?』と聞き返され、 内地と言うと「内地?」とまた、聞き返され、 汽車というと「汽車?」とまたまた、聞き返され、 若い頃は、道民であることが、 嫌になってしまったことがありました。
東京で会う、北海道出身者はどこかのんびりとしていて、 鈍臭く、時代の先端をいくクリエイターとしては、 たまらなく過去を断ち切りたいと思ったこともあったものです。
でも、自分のルーツをリセットすることは不可能で、 時代の先端をいくことだけが、クリエイティブではない と思い『心地良さをカタチにする』をテーマにする ようになりました。
もっと、もっと、故郷のことを知りたい、 そんな毎日です。
投稿者:hide★ :2006年12月30日 10:40
mixiのメッセージを読み、遅くなりましたが、今更コメントです。 ありがとうございます。
素敵な風景ですね。癒されました。
私も上京して数十年たちますが、すべては東京で、 北海道なんてもうどうでもいい!!と思って、20代を生きてきました。
去年、ひょんなことから大泉さんと出会ってからは(それまでは全く知らず…) 帰省するたび、北海道に魅了され、 やっぱり生まれ育った場所はいいなと、考え方が変わってきております。
小樽は、今年2月に行きました。 駅舎を眺めながら、坂道を歩きながら、廃れた三角市場を歩きながら、昔を懐かしみました。
私、生まれたのは小樽ですが、 2歳で札幌に引越しましたので、小樽での生活の記憶はありません。 しかし、小学生の頃は、週末になると祖父に連れられ、小樽へ足を運んだものです。
北海道にはまだまだたくさん良いところがありますよね。 いつかゆっくり、時間をかけて旅したいです。
私にとって北海道は“いつか帰る場所”だと思っております。
北海道にまつわる仕事がしたいと、日々精進している次第。
投稿者:gon :2006年12月30日 10:38
>N.Kojima様
今までは、目線が高い方向へばかり向いていました。 もっと、日常の些細なことにも関心を持ち、 もっと、弱い立場の人々にも耳を傾け、 もっと、自分と違う価値観を持った人々の意見を聞きたい。 この野菊のアップの写真は、跪いてもまだ目線が高くて、 地面にやっと這いつくばって、やっと野菊の目線になれました。 日常でももっともっと目線を下げて、 目線を下げたというのだと思いました。
投稿者:hide★ :2006年12月30日 10:36