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執筆者の写真Hidetoshi Shinohara

アダム・ウェストンの見どころ

今年も銀座で開催された、ニューヨーク出身のアダム・ウェストンの個展へ行ってきました。生命の根幹と宇宙とのつながりをテーマに描いています。彼とは、何度か会って話しているうちにお互いに考えていることが共有できるようになってきました。

彼の作品を見て、本人のコンセプトとは違う、僕が感じたことを纏めてみました。それは、移ろう色の波動とでもいうのであろうか?現代美術史の中で、このような抽象絵画はイヴ・クラインやマーク・ロスコの流れを汲むと思う。これを抽象絵画と言っていいのかどうか分からないけれど。(マーク・ロスコは、自分の作品を抽象絵画と特定の枠の中に入れられることを嫌った)



80年代、池袋西部美術館でイヴ・クライン展を見た時に衝撃を受けたものだ。イヴ・クラインは、ほとんどの作品がブルーの色使いで、キャンバスに海綿を貼り付けたり、裸の女性モデルにブルーの絵具を塗り付け、それをキャンバスに転写したりする。自らインターナショナルクラインブルーという顔料まで作って、美術館で小瓶に入れて販売していた。 イヴ・クラインにとってのブルーは、生まれ故郷のニースの海岸で見た青空の色、そして、宇宙の根源的エネルギーに直接結びついている色なのである。当時、グラフィックデザイナーになりたての僕は、プロという現場で右往左往している頃だったが、削ぎ落とすという考え方を目の当たりに見て、目からウロコが落ちたものだった。でも、この削ぎ落とすという考え方、実は日本的だったことを後になって気づく。それは、尾形光琳に代表される琳派である。


アダム・ウェストンの作品は、このマーク・ロスコの朧げな移ろいの色使いと、イヴ・クラインのブルーに固執した様々なテクスチャーの実験表現、また、日本の技法であるレイヤーをミックスしたような流れを汲んでいると思う。アダム・ウェストン自身は、この二人の作家から影響を受けたかどうかは、定かではないけれど。彼に作品テクニックを聞いてみると、キャンバス上にジェッソでテクスチャーを作り、その上に色を塗ってその表面を拭き、何度もその作業を繰り返し、納得の色彩に達した時が完成なのだそうだ。 西洋美術史の中では、このような色の面の積み重ね、レイヤーという例はあまりない。日本では、王朝時代の着物十二単など、まさにレイヤーである。または、和紙の色紙をちぎり絵のように切り貼りしていくレイヤーにも似ている。北斎は、パースペクティブではなく、レイヤーを使って遠近感を出している。 アダム・ウェストンのお父さんは、アダムが小さい頃、東京の銀座でアトリエを持ち、作家活動をしていたらしい。アメリカに帰るときは、カッパの置物や、北斎の印刷物をお土産に買って来てくれたという。今では、この世にいない父親の幻影を求めて、毎年、銀座で個展を開催するのも、どこかで父親の波動と響き合っているような気がする。 そんな因果関係が、アダム・ウェストンに移ろいの色彩を与えたのだろうか?会期中、アダムに教わった「新朦朧主義」の話が興味深かった。この朦朧という言葉に清少納言の枕草紙の冒頭「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」を思い出す。 アダム・ウェストンの作品に表現されている朦朧としたぼかし、霞、むら、などは、日本人のDNAに染み付いているものかもしれない。 次回は、色の波動について語ってみたいと思います。

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美しく、輝く、輪を求めて。

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