Yさんと車で撮影ぶらり旅に出た。あいにくの曇り空だったけど、イメージは僕の好きなロシアの映画監督、アンドレイ・タルコフスキー。あまり観光地化されていない、千葉県我孫子市にある手賀沼というところへ辿り着いた。
タルコフスキーの「ストーカー」と「ノスタルジア」の映像を写真にできないかと思い、フォトスケッチで撮ってみた。タルコフスキーは、難解と言われている。叙情的で見ていると眠くなるとも言われる。でも、これは絵画と一緒であることが最近わかった。僕は評論家ではないので、難しい言葉を並べて知的に見せる必要もない。「ストーカー」を見て何度も寝てしまった。5回目くらい見てやっとそのストーリーが理解できた。
マーコ・ロスコの絵もそうだけど、ある人に画集を見せたら「これは、どう見たらいいのかわからない」と言われた。僕は、しばらく困った。なんて解説すればいいのだろう?と。しばらく、その課題を考え続けたとき、ある日突然答えが出た。理解する必要なんかないんだ。評論家が難しいことを言うから、右脳で考えようとする。ただ目の前にあるものを感じ取ればいいだけだ。そう、絵というものは理解するのではなくただ感じ取ればいい。絵というものは特別な人だけのものではなく、誰もが何かを感じ取れるはずだ。ゴッホの絵がいいのか悪いかなんて、考える必要なんかない。ただ、好きか嫌いかだけだ。
なんとなく、この曇り空と湿地帯を見ているときにタルコフスキーの2つの映画を思い出した。タルコフスキーの映画には水のシーンが頻繁に出てくる。淡々と流れるストーリーの中で、何か湿地帯のような、ぴちゃ、ぴちゃっ、という音とか、雨のシーンなんかが妙に心に残る。水の星に生まれた地球人だからだろうか?生物は水から生まれ、水に返るのだろうか?地球人としてのDNAが疼くのであった。
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