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大倉山シャンツェ

1972年、冬季オリンピック札幌大会、90m級ジャンプの競技場へ行ってみた。


当時、僕はまだ小学5、6年生くらいだった。札幌オリンピックで70m級ジャンプと90m級ジャンプに日本中が沸いた。北海道から出たことがなかったので、地元だけ盛り上がっていたのかどうか、実際にはそこのところはわからない。 70m級ジャンプでは、笠谷、金野、青地の3選手が金、銀、銅を独占。前年のプレオリンピックでは日本人選手など話題にものぼっていなかったから、あのときは日本中が熱狂した。この快挙以来、家では押し入れの中段から笠谷選手のクラウチングポーズを取って、シュワッと踏み切り、空中飛行をして敷き詰めたマットレスの上へ飛び降りる遊びに何度も熱中した。 70m級ジャンプの活躍に90m級もやってくれるだろうと思っていたけれど、残念ながら記録は振るわなかった。笠谷選手のスタート時に風が安定しなく、ゴーサインがなかなか出なかったのだ。テレビで見ていても笠谷選手のいらいらが頂点に達しているのがわかった。国民の期待を一身に背負って。スタートを切ったときにはもうすでに集中力が途切れていたように見えた。 オリンピックが終わって、各競技場が一般市民に解放されたので、真駒内アイスアリーナ、美香保スケートリンクでスケートをした。ジャンプ台も見たくて、70m級の宮の森ジャンプ競技場は一般公開されていたので行った。当時はスタートラインまで立つことができた。なぜか、90m級大倉山シャンツェは立ち入り禁止で下から見上げることしかできなかった。 今回、同級生に連れて行ってもらい、観光名所になった大倉山シャンツェを初めてのぼって見下ろしてみると、あの下に見える観客席から歓声が聞こえてくるようだった。

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10 comentários


Hidetoshi Shinohara
Hidetoshi Shinohara
26 de nov. de 2019

>香明さま

普通の人は失神しますね。 ここを全景姿勢で直滑降で滑り降りていくのですから。 自殺行為です。 僕たち、北国の子供はスキーやスケートが日常だったんです。 高校の時はふてぶてしかったのでやらなかったようですが。 20代後半になって始めたスキーは夢中になりましたけど。 そのかわり、水が嫌いです。

投稿者:匿名 :2009年2月 2日 10:15

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ひぇえ~!!! 高所恐怖症の私はきっとこの場に立ったら失神するでしょう・・・。 ジャンプは人間が鳥のように飛んでカッコイイですよね☆ 子供時代のhide★さんが影響されるのも分かる気がします。 私は冬のスポーツをほとんどやらないので、 スイスイ・クルクルとスキーやスケートを滑れる人達には憧れの眼差しを向けます♪♪

投稿者:香明 :2009年2月 1日 22:38

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Hidetoshi Shinohara
Hidetoshi Shinohara
26 de nov. de 2019

>エルさま

6年生だったんだね。 へー、エルさんのフィギィアスケート見てみたいなあ。 ジャネットリンには日本中、熱狂したね。

スキータイツははかないけど、 私をスキーへ連れてって! あのもっこりがいやなんだ。 どのあたりがいいのかな? ニセコか富良野かトマムかな?

投稿者:hide★ :2009年1月30日 13:55

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Hidetoshi Shinohara
Hidetoshi Shinohara
26 de nov. de 2019

>ヨリさま

スキーは20才位の時に基礎からやり直して、 自称ビューティスキー。 ダイナミックで繊細かな。 ステンマルクを崇拝している。 キリー、トエニなんて懐かしいね。

投稿者:hide★ :2009年1月30日 13:49

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当時札幌五輪の時には6年生。 フィギィアスケートをやっていた私は”ジャネット リン”にあこがれたものでした。

コスチュームを着て銀板に立つことなくやめてしまったけど・・。

雪国育ちの私はスキーもそこそこの腕前よ! 今度スキー行きましょう!スキータイツはいてね・・・。

投稿者:エル :2009年1月30日 11:02

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美しく、輝く、輪を求めて。

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