篠原家の御先祖様は、香川県高松市の隣にある丸亀市であると聞いていました。明治維新で幕府が解体し、丸亀城の藩主、京極氏が廃藩置県後、北海道へ渡り、現在の北海道虻田郡京極町で農場を拓いたらしい。

そういえば、僕が生まれたのは北海道ニセコの近くにある倶知安という羊蹄山の麓にある小さな町。その羊蹄山を囲んで、細川隆の出身地、真狩町があり、京極町がある。京極の湧き水は、有名で北海道の多くの人は車で水を汲みにくる。

この歳になって、父といろいろ話をするようになり、元気なうちに戦争中の話や自分のルーツのことも聞くようになった。帰省する度に丸亀の話を聞いているうちに高松からアダム・ウェストンと奥さんの千寿さんが東京の僕のオフィスへ訪ねてきたのである。

二人に会う度に、うちの祖先は丸亀だという話をしているうちに「いつか、高松に遊びにおいでよ」ということになり、高松へ行くことになったのである。高松滞在の2日目は、直島の地中海美術館へ行った。その話は、後日するとして、3日目の最終日は、アダムと奥さんが車で丸亀城へ連れて行ってくれた。

四国には知り合いも取引先もなく、まったく今まで縁がなかったのに、何か、御先祖様に引き寄せられたような旅だった。
丸亀城の上から、丸亀市内を見渡し、きっとここから見えるどこかに御先祖様が生活していたのだなあと感慨に耽っていたのでした。
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