top of page
執筆者の写真Hidetoshi Shinohara

素描No.001

北国の荒涼とした風景が頭から離れない。



僕は、写真だけでは飽き足らず、休日の朝から鉛筆を握りしめていた。久々に沸き起こった、描くという作業。使い慣れたステッドラーの鉛筆を削ることから始めた。写真に満足できず、じっくりとディテールを観察してみることにした。 写真家でもないのにシャッターを押せば撮れてしまう。とまでは言わないが、それに近いことが素人にもできるようになった。そんな安易な気持ちで写真を撮った気になっている自分が許せない。もっともっと突き詰めなくては。この一枚の絵を完成させるには、ドラマチックに演出する光の加減が重要だ。「今度ここを訪れる時は、日の出か夕方だ」と心に誓った。 このサイロの向こう側が東なので、朝日が昇ると建物が逆光になる。それもいいかもしれないが、まずは夕方の順行で撮影するプランを立てる。きっと、夕日に染まった茜色の空が、この朽ちかけた窓ガラスに彩りを添えるに違いない。 写真を見ながら、ひとつひとつを描き込んでいくと、崩壊が始まった最初はどこから崩れていったのだろう?などと考えてしまう。人々がここの土地に住んでいれば、少しずつ修復しているはずなのに。やはり、人のいない建物は朽ちていくものなのだろうか?建物は、まるで生き物のようだ。 あらためて、「描く」という行為は「見る」ということでもあることに気がついた。

閲覧数:11回

4 Comments


>eruさま

面白い遊びを発見しましたね。 交互に見てみるとリアルに描いているようでもリアルではないですね。 白い紙から浮かび上がってくる絵は、自分で描いていても 不思議な感じがします。 写真は、そこにあるものをそのまま写し込みますが、 絵は描きたいところを強調することができます。

最初に描いた1本の線からスタートする。 その時は、うまく描けるのかどうか不安に駆られるけど、 だんだんと対象が浮かび上がってくると気分が昂揚してくる。 気がつくと夢中になっている自分がいる。

そんなところは、子供の頃から何も変わっていないです。 少し変わったところは、全てのモノに愛を感じて描くことが できるようになったことかな。

投稿者:hide★ :2009年5月14日 11:25

Like

contact
Nov 27, 2019

hide★さま

愛のある温かい絵に癒されました。

ちょっと遊んでみました。 5日のこのサイロの写真と11日のデッサンを交互にクリックしてみるのです。 光の感じまでとても忠実に描かれていて、改めてプロの仕事を感じました。 写真もプロ級だけれども 私は鉛筆で1本1本描いたこっちのほうが好きです。

もっと素描シリーズ増やしていってくださいね。

投稿者:eru :2009年5月14日 11:04

Like

>さいとーさま

見ているようで見ていないんだよね。 だから、克明に描こうとすると 細部を見なくはならない。

普段、見ているというのは見ているのではなく、 見えているだけ。

投稿者:hide★ :2009年5月13日 15:32

Like

contact
Nov 27, 2019

>「描く」という行為は「見る」 なるほどですね。

サインはhide☆かあ。

投稿者:さいとー :2009年5月13日 14:04

Like

美しく、輝く、輪を求めて。

bottom of page