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執筆者の写真Hidetoshi Shinohara

薪ストーブのある家

ふたたび、フィンランドのホンカという家の話。 けっして、ホンカのまわし者ではありません。 北海道で育った僕は、なぜか北欧の家の作りがどこか懐かしさを感じるのである。


すっかり、肌寒くなり秋めいてきた今日この頃、僕の心は寂しさで一杯だ。秋が嫌いだ。なぜかって?あんなに梅雨明けが待ち遠しくて、やっと夏が来て、「あちーっ!」と言いながら、燦々たる太陽の陽を浴びている方が幸せを感じるからだ。


秋が嫌いと言っても好きかもしれない。どっちなんだ。つまり、こういうことだ。秋という情景は好きなのだが、秋が来ると冬が来て、『今年が終わる』という1年の後半が猛烈に過ぎ去っていくスピードが嫌いなのかもしれない。秋が来ると今年1年、まだまだやり残したことがあり、焦って恐れおののくのかもしれない。


僕は、年の初めに毎年予言する。「今年は、もう終わる」と。その予言が9月になり、10月になると予言通り刻々と近づいてくるのである。恐怖の秋。特に今日みたいに雨がぱらぱら降っていると、寂しさと恐怖で心臓がきゅーっと縮こまってしまう。まるで世紀末のように。1年の後半が短すぎる。真夏が8月じゃなくて、1年のセンターの6月だといいんだけど。7月に台風が来て、8月に秋が来る。9月からじっくりと冬に突入していくと後半がたっぷりあり、安心する。


子供の頃、北海道は9月の後半に入るとストーブに火を灯した。今でこそ、東京と変わらず新建材を使用して、セントラルヒーティングで暖房が完備されているが、当時は薪ストーブ。外は寒いが、家に帰ってくると薪ストーブの煌々と燃える火を見つめながら、大きなマグカップに入ったホットミルクを両手で抱えて飲み、お袋が作ったオーブンで焼きたてのクッキーを口一杯に頬張る。それが、秋から冬支度に入る北国の情景。


薪ストーブの火を見つめていると時が経つのを忘れる。傍らで、おばあちゃんは僕のために毛糸の手袋を編んでいる。しかも丁寧に片方の手袋を無くさないために毛糸の紐で糸電話のように繋げておいてくれる。


東京は、空調が完備されていて家の中にいると暑いのか寒いのかも分からない。ホンカの住宅展示場にいて、薪ストーブを見つめているとそんな子供時代の秋の情景を思い出す。フィンランドの人々も同じ地球のどこかで、同じような北国の家族の光景があるのだろうか?と思いを馳せる。

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美しく、輝く、輪を求めて。

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