表参道のKIDDY LANDの隣にある、黒いガラス貼りの怪しい店。看板も出ていない。『田舎もんの来るところじゃないのよ』とでも言いたげだ。最初、一度入ったら後ろ手で鍵をかけられて二度と外へは出られないのではないかと思った。きっと、南米に人身売買で売り飛ばされるのかもしれないとも思った。『原宿のこんなど真ん中で勇気あるなあ?』とか、『意外とこんな都会のど真ん中が公安の盲点なのかもしれない』とか、いつも通りかかるが、一体なんの店なんだろうと思っていた。入口がどこにあるのかもわからない。
もしかして、男子禁制の秘密クラブか?いや、ここは女性専用のエステとか、知る人ぞ知る女性下着の専門店かも?何度も入ろうと思っているうちに数年が経った。『お客さん、ここは会員制の◯◯です』とか言われて、赤っ恥をかくことになるかもしれない。
ある日、脇のドアを開けて、なんの躊躇もなく若い女性が入っていくのを見かけた。僕は、田舎もんコンプレックスがどこか抜けていないのかもしれないが、その女性の後に続いて勇気を出して入ってみた。もし、場違いのところだったら『間違いました!』と言って、一目散に逃げるつもりだった。中は、ちょっとヴィンテージ風のインテリアで、薄暗く僕の好みだった。音楽がガンガン鳴り響き、バブルの頃のクラブを思い出す。
出迎えてくれたスタッフは、スキンヘッドで額に深い傷のある、背の高い怖そうな男性だった。『やっぱり、人身売買だ!』とその時は逃げ出そうかと思った。店内を見渡すと9割ぐらいが若い女性客だ。南米行きを待機しているのかもしれない。中は意外と広く、奥の空間へと連れて行かれ、擦り切れたブラウンのレザーのソファへ案内された。もう逃げられない。でも、すごく座り心地が良い。あれは何年か前の夏だったと思う。ペペロンチーノとコーヒーを注文した。料理を運んでくれたのは女性スタッフで、とても感じが良かった。
いつの間にか、原宿のジムの帰りに遅めのランチを食べにこの怪しい店へと足が自然と向かっていた。あの怖いお兄さんも意外と感じがよく、ある時、レジで会計を済ませていると、僕の胸元を指差して、「好きなんですか?」と聞いてきた。「えっ?」何のことだろうと思ったら、その日はGジャンを着ていて、ビートルズの4人のピンバッチをつけていたのだった。「ええ」と僕は言ったが、2人ともそれだけで心が通じ合ったような気がした。
それから、週に2~3回は通うようになった。秋になり、風が冷たくなってきた頃、その日は混んでいて、2階の外に面しているバルコニーに案内された。店内もひんやりしていた。「寒くないですか?」と女性スタッフに声をかけられた。「ちょっと」と僕は言った。彼女は近くに石油ストーブを持ってきてくれ、火を灯してくれた。夕方になると照明がいちだんと落ち、キャンドルをテーブルに持ってきてくれ、「ゆっくりして行ってくださいね」と彼女は言った。いつもは食後に本を読むのだが、薄暗くて読みづらい。でも、その不自由さもたまにはいい。
後ろの席からは、2組の若い女性の話し声が聞こえた。「私、最近、テレビ観てないんだけど、やばくない?」と1人の女性が言った。『僕もテレビは全く観ないので、全然やばくないです!』と心の中で返答した。
何度も通ううちに3階まであることを知った。それぞれの空間が全く違う雰囲気なのだが、どこかバブルの時期を思い出す程良いヴィンテージ感があって洒落ていた。あの怖いと思っていたお兄さんも、僕が食事をしているとわざわざ席まで挨拶に来てくれるようになった。女性スタッフとも顔馴染みになって、ちょっと世間話をするようになった。
最後に行ったのが今年の3月初旬だったと思う。大音量の中で、何かのイベントをやっていた。東京スカパラオーケストラのメンバーの誕生パーティで、上の階で生演奏をやっていた。「こんな感じでも大丈夫ですか?」とオーダーを取りに来たいつもの彼女はそのような感じのことを言った。料理を持ってきてくれた時もいろいろ話しかけてくれたのだが、大音量でほとんど聞き取れない。その時は、身振り手振りで会話をした。
それが最後だった。その後、何度も店の前まで行ったのだが、毎回、脇の入り口の前には女性のすごい行列ができていて諦めた。もう3週間くらい行っていないので、予約しないとだめかもと思ってネットで調べたら、3月31日で閉店となっていた。みんな名残り惜しんで行列ができていたのだった。最後の日は、スタッフに挨拶したかったけど、やはり長蛇の列ができていて諦めるしかなかった。
ここ数日、店の名前さえ出ていない客を突き放すような雰囲気の黒いガラス貼りには、最後のお別れのメッセージが白い英語で表記されていた。
Thank you for over 20years.
We will be closing on March 31st.
Farewell, all the best!
montoak
「ごきげんよう!最高です!」閉店間際の数日間にこんなメッセージを出して、なんて洒落ているんだろう。また、こんなカフェを作ってくれないかなあ?
ここは、アパレルブランドJUNが運営する、伝説のカフェ「カフェ ド ロペ(Café de Ropé)」のDNAを受け継ぐ表参道のカフェ・ラウンジ「モントーク(montoak)」ファッションブランドのイベント会場に多く使われ、アーティストやクリエイター、芸能人からも愛されてきたコミュニティの場は、今月末に20年の歴史に幕を下ろす。
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