昨日の東京は寒かった。3月だというのに夕方から雪になった。
夜11時頃、会社を出て家に帰るとき、道路がシャーベット状の雪だった。足元は滑り、地面を見てアスファルトのムキ出ているところを探して、一歩一歩を踏み出す。身震いしながら、心の中で「ああ、しばれる〜!」とつぶやいた。
そういえば、18才で上京したころ、知り合いになった友達に「しばれる」という言葉を無意識に使ったら「なにそれ?」と笑われたことを思い出した。「東京を征服してやる!」なんて、羽田からモノレールに乗って、都会の風景に胸躍らせていた。ボストンバックひとつ膝に抱えた少年は、そんなことを考え粋がっていたはずなのに、僕は何か場違いなところに来てしまったような孤独感に追いやられた。 東京で生まれ、東京で育った若者達は世界を見ていたというのになんて差だったのだろう?僕にとって、目新しかったことが東京の若者にとっては日常だった。まだ、インターネットがない時代、情報の格差が激しかった。世界中の情報が簡単に入手できるようになった今、こういう地方の多くの情報を伝えていければいいと思う。 Yahoo知恵袋のベストアンサーで面白い回答があった。「しばれる」という方言が共通語にならないものか?という質問に対して、多くの人はそんな状況がないので必要ないというものだった。『私も北海道の友人に聞くまで縛れるだと思っていましたのでそういうプレーが好きなのかと思っていましたよ共通語は無理でしょうまだギャグのレベルです』というのは、面白かったけど。 語源は「柴割れる」だという説もある。あまりの寒さに柴の水分が凍結して、「柴が割れる」状態になることから生まれた言葉なのだそうだ。きっと、体験したことがない人のために、今回の写真は体感できるのではないかと思う。「あ〜あ、見ただけでもしばれる」と息を吐きかけながら、両手をすりすりするのです。
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