菜の花色

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。(夏目漱石の草枕から) と、この物語の中で、青年画家が山道を歩きながらつぶやく。この物語では、世界が現実味のない、夢のような幻想的な絵のように描かれている。その青年画家が歩いている山道は、「しばらく平で、右は雑木林、左は菜の花が続く」とある。 今日の東京は、ちょっと春の陽気だった。春の訪れを感じながら、菜の花を思った。青年画家は言う。「春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のあることを忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。」 僕が高校の時、人間関係が嫌になって不貞腐れていたら、いつもは厳しい父がこの「草枕」の冒頭の言葉をつぶやいて聞かせてくれた。今この言葉が身にしみる。 菜の花の色を見ていると、自分の魂の居所を忘れてしまった。たまには、いいかもしれない。

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美しく、輝く、輪を求めて。

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