7月も終わろうとしているのに、一向に梅雨が明ける気配がない。コロナウイルスの影響で、みんな外出はできるだけ自粛しているので、滅多に人に会うこともない。今頃は、東京オリンピックで賑わっていたはずだ。ここからは、3分も歩けば国立競技場が目の前にそびえ立って見える。こんな時は、思考を変えてみることが大事なのではないだろうか?大変だ大変だというけれど、大変でない時なんかない。いつだって、人々は大なり小なり、問題を抱えている。人生とは、大変なものなのだ。
こんな時にぴったりの映画を観た。その名もRain。ヴィム・ベンダース監督の作品。あの時、雨が降らなければ...同じ時、同じ場所で起きた6つの悲劇。
ある熟年夫婦が、雨の日にレストランで食事を。奥さんを連れ出す旦那さんは、「美しい雨の日を楽しむんだ!素晴らしき人生」と言って意気揚々と奥さんをエスコートして二人で出かけていく。帰りも土砂降り、二人は傘を差し、タクシーを拾うために信号待ちしているところへ、片腕の退役軍人のホームレスが、奥さんに食べ物を恵んでもらえないか乞う。奥さんは断るが、旦那さんは「恵んでやればいいじゃないか」と、ホームレスに「デザートでもどうだ?」と声をかける。ここから、夫婦の見解が違い、大喧嘩になる。
家に帰ってからも意見は、平行線。一人のホームレスを助けたって、世界のホームレスや困っている人を助けることにはならないというのが、奥さんの主張。「やっと手に入れた幸せを壊したくないの」と奥さんは言う。旦那さんは、何か人にいいことをしたかっただけなんだ。世界じゃない、小さな親切を。レストランで食べ残したお持ち帰りのデザートを恵んでやったからって、自分たちが不幸になるとは思えない。目の前で困っている人に手を差し伸べることにより、何か心が洗われるように気持ちになるものだ。駅の階段でお年寄りが重い荷物で困っていたら、手伝ってあげたくなるではないか。人に親切にした時の清々しさは、目の前が明るく未来が開けるような気持ちになるのは僕だけなのか?
この水溜りの美しさといったら、何か水の精が宿っているようだ。
毎年、梅雨のシーズンになると鬱陶しく、気分が落ち込んで夏が待ち遠しかった。この映画に出てくる熟年夫婦の旦那さんのように「美しい雨の夜を...」というセリフ、そうか雨は美しいのだ。思考をちょっと変えるだけでも幸せな気分になる。雨の何が嫌いだったんだろう。そう、ずぶ濡れになることだ。防水の革靴を履いても中まで染みて、靴下とズボンがびしょびしょになり、傘を差しているのに片側の肩が濡れている。何がいやかってジメジメ、びしょびしょが大嫌い。
でも、今年は違う。こんなことでは、何も解決しないと思い、梅雨入りした時にゴアテックスのレインジャケットを買って、雨の日になると雨の美しい瞬間を捉えようと完全防備して外出した。歩いて20分位で外苑銀杏並木通りに辿り着く。その通りには、一定間隔にベンチが置かれている。そのベンチの下を覗き込むと大きな水溜りができていた。ベンチの肘掛アイアンが水溜りに映り込み、森の中にいるような静かなひと時を過ごすことができた。
こんな時代だからこそ、今までとは違うことにチャレンジして行こう!素晴らしき人生!
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