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執筆者の写真Hidetoshi Shinohara

JACKSON POLLOCK

今月、ジャクソン・ポロック展へ行ってきた。画家には、大きく分けて2つのタイプがある。ひとつの作風を一生涯ずっと突き詰めていくタイプ。もうひとつは、常に新しいスタイルを模索し続けるタイプ。ポロックは、後者である。


もともとは、彫刻家になりたかったというのは、意外だった。アクションペインティングの代名詞とまでいわれるジャクソン・ポロック。画面を均一にオートマチズムという手法で覆っていくオールオーバーな構成である。絵の具を垂らしたり、筆に絵の具をつけてスプラッシしたり、自由奔放な表現である。


ポロックの時代にキャンバスを床に置いて描く画家は珍しかったようである。その質問に対して、「東洋では床に置いて描く技法がある」と言っているように確かに書道は床に和紙を置いて描く。アクションペインティングの評価がピークを迎えたとき、突如、日本の書のように白地をたっぷりと生かした黒の世界でミニマムな表現に走ったがあまり評価されなかったようである。でも、この頃のミニマムな表現は、何か東洋的なものを感じて親しみを感じた。 古典の芸術家達は、対象をキャンバスに再現した。現代のアートは、機会のテクノロジーによってそれをする必要がなくなった。よって、ポロックのような抽象絵画は、絵筆をキャンバスに直接ふれるのではなく、内面に持っている感情を流動的な塗料を使い、空間を飛び交う手法を使った。絵画の歴史のプロセスを切り開いた作家だと思う。今では、この技法は当たり前のように使われている。当時はどんな反響だったのだろう?いつの時代も新しい表現が世に出ると否定的な意見を言う人がいるけれど、常に自分の垣根を取り払い心の目で芸術を見る目を養わなければならないと思った。

東京国立近代美術館内にミニチュア版で作られた、ジャクソン・ポロックの納屋を改装したアトリエがあった。20年振りに再会した原画を見たあと、そのアトリエにしばらく立ち尽くした。汚れた床、それ自体が作品のようであった。

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美しく、輝く、輪を求めて。

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