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デビッド・ボウイの誕生日

インターネット上で、今日は故デビッド・ボウイの誕生日であることを知った。

僕は、30歳の時、KANSAI SUPER SUTDIOでグラフィックデザイナーとして働いていた。

社長は、ファッションデザイナーの山本寛斎さん。




僕が会社へ出社すると、ことあるごとに朝一番で寛斎さんから内線電話がかかってくる。「すぐ、僕の部屋へ来てくれる?」机の上の整地整頓が終わるか終わらないかのうちに呼び出される。


その日は、ある出版社から寛斎さんの本を出すということで、僕がその担当責任者になっていたので、その打ち合わせだった。過去の寛斎さんの作品から、どの写真をセレクトして掲載するかということを相談したいということだった。その一つにデビッド・ボウイが着ている山本寛斎デザインのステージ衣装があった。僕は、中学生、高校生の頃、ロック少年だったのでその衣装はよく知っていたが、まさか寛斎さんのデザインだったとは知らなかった。


僕は、興奮のあまり、「これ、寛斎さんのデザインだったんですねえーー!」と思わず心の中で、『しまった!』と口走ってしまったことを後悔した。会社の社員として、自分のボスの作品を知らなかったことに思わず本音を出してしまったのである。僕は、寛斎さんが機嫌が悪くなるかなと恐る恐る上目遣いで顔色を伺っていると、遠くの方を見つめてデビッド・ボウイとの出会いについて語り始めた。


寛斎さんが、ファッションデザイナーとしてデビューしたばかりの頃、ワールドツアー中のデビッド・ボウイのマネージャーから電話がかかってきたらしい。そして、次回のニューヨークでのコンサートの演出に何かが足りないので、寛斎さんのニットやバルーンスタイルの衣装を使わせて欲しいということだった。寛斎さんは「使ってもいいけど、全てレディースサイズだから、彼は着ることができないだろう」と何度も断る。痺れを切らしたデビッド・ボウイは、マネージャーの電話をひったくり「レディースでもいい。すぐにニューヨークへ送って欲しい」と早口の英語で捲し立てる。何度もしつこく言われたので、渋々、寛斎さんデザインの衣装を何点か送ったそうだ。


ニューヨークでのコンサートに招待された寛斎さんは、オープニングで自分がデザインしたバルーンの衣装を着て、ワイヤーに吊るされ、天井から舞い降りきたデビッド・ボウイを見た。

しかも、レディースサイズの衣装を見事に着こなしていたらしい。


当時、寛斎さんは、晩年ほど英語が堪能ではなかったらしいが、デビッド・ボウイと意気投合したので日本の京都などを観光案内したり、会社で新たなステージ演出の打ち合わせをしながら、一緒に衣装を作っていったらしい。観光案内しているときもお互い言葉は通じなくても顔を見合わせるだけで、意志が通じ合っていたという。これは、1970年代の話である。


僕が、1990年に寛斎さんの会社で働いていた時、原宿の本社にデビッド・ボウイが訪ねてきたことがあった。こんな話を寛斎さんは、社長室で二人きりの僕に話してくれた。30年以上も前のことなので、話の細部が間違っていたらごめんなさい。


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In search of a beautiful, glowing, ring.

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